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皇冠給你買新車
作詞:Hiromu Akita作曲:Hiromu Akita
家庭の形
頼
私の家族の形はとても歪です。 父が再婚して祖母から父と継母に親権が移りました。 幸せではなかった。私は継母が嫌いで、継母も私のことが嫌いでした。荒んで警察のお世話になるような学生時代、否定ばかりされて生きてきて腐ったどうしようも無い大人に育ってしまった。 周りの「普通の家庭」が羨ましく妬ましい。 私もあんなふうに生きられたら幸せだったのかもしれない、親孝行が出来たのかもしれないのに…今更手遅れだなって嘲笑。亀裂は深く飛び越えて私は向こうには行けない。折り合いは付かないまま。 私が感謝の気持ちをいちばん伝えなければいけないのは祖母でした。どんな時も見捨てずいちばん支えてくれた人。 今はこの世にもういません。 ありがとうもなにも伝えられなかったし、何一つ孝行出来ませんでした。 最後に一緒に食べたお雑煮、美味しかったね。 ばあちゃんが若い頃好きだった温泉とか大衆演劇だとかカラオケも行きたかったな。 そんな後悔ばかり。 秋田さんにとってこの歌はお父様に当てて書かれた歌だろうけど、私は祖母や家族を重ねてしまいました。 祖母とキャッチボールをした訳でも肩車してもらったわけでも、この世を去った理由も全て違うけれど、この歌は私にとって祖母にこうしたかったという思いや、父や継母とこうありたかったという願望が胸の内から溢れて止みません。 そんなのもう全部叶わないってわかってるんですけど…。 クラウン新車で買ってあげる この曲を聞く度に祖母の温もりを思い出します。 駄文、失礼しました。
弔いの旅
年糕
2025年晩秋から2026年梅雨入りにかけて、何往復したことだろう。 車で片道3時間の弔いの旅。(パートナーの実家じまいの為に) この時期、関連して心療内科への通院も重なっていた。 ショッキングな光景を目の当たりにして、暫くフラッシュバックと不眠に悩まされていた。 何の痛痒も感じないそぶりで暮らしていた。その内奥では虚無感が涯なく拡がっていくような感覚があった。 その旅は、それらと向き合う為にも必要な時間と距離でもあった。 パートナーとお互い励まし合いながら、いくら悲しくとも歩くべき道をいくだけなのだと。 そんな折、ライブでこの曲が流れた時、一語一語の重みをはかるように自分の事となぞらえながら聴き入っていたように思う。 晩秋の実家(パートナーの)に警察車両、捜査員、救急隊員が出入りするなかを不条理なほど美しく、ルリマツリの空色の花が咲き乱れていて、似つかわしくないその情景に気が遠のきそうになりながら眺めていたことや、 いつになく長く感じられた冬が過ぎ、春先に訪れた際には、打ち捨てられた庭先のヒマラヤ杉の下、踏みしだかれた枯葉の合間からスイセンが覗いていたことや。 その後、6月中頃を最後に、いずれ解体される家に施錠し、車で後にしたとき、涙こそ出なかったものの、わいを受け入れてくれた人達への生前の記憶と思慕がようやく湧き上がってきた。 なんだか蛇足的になりましたが、この忍びがたい悲しみを描いた曲は、秋田さんの音楽活動の軌跡と聴いた人々の思いが一輪の花のように後々、収斂されていくのだろうと、そう感じた。
無題
ヨシ0323
親との関係はそこそこ変なかたちで、もう数年顔を見ていません 母とは子供達の成長を1年に一回写真で送るだけ。 父とは先日2年ぶりに用事の都合で生存確認の連絡を少ししただけでした。 父に関しては私の子供たちとは物心が着く前の1〜2回しか顔を合わせていません。 秋田さんとの親子関係とは違うのに、過去の楽しかった時の想いでと、これからどうなるのかを想像してしまい、ライブでは涙が出てきました。 これから親との関係がどうなるか想像はつきませんが、 少なくとも自分の子供達は秋田さんのような何かを感じて言葉にできる、そんな人生を歩んでほしいと願ってしまう そんな歌でした。
ろくな思い出はないけれど
kosh_rou
うちは父との関係が特殊で、一年に一度くらいか、たまに会うことしかなかった。会う度に写真を撮らされて正直あまり会いたくない相手だった。でも、そんな嬉しくない思い出でもなんかあってもよかったのかな、て肯定された気がする。
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皇冠給你買新車
作詞:Hiromu Akita作曲:Hiromu Akita
家庭の形
頼
私の家族の形はとても歪です。
父が再婚して祖母から父と継母に親権が移りました。
幸せではなかった。私は継母が嫌いで、継母も私のことが嫌いでした。荒んで警察のお世話になるような学生時代、否定ばかりされて生きてきて腐ったどうしようも無い大人に育ってしまった。
周りの「普通の家庭」が羨ましく妬ましい。
私もあんなふうに生きられたら幸せだったのかもしれない、親孝行が出来たのかもしれないのに…今更手遅れだなって嘲笑。亀裂は深く飛び越えて私は向こうには行けない。折り合いは付かないまま。
私が感謝の気持ちをいちばん伝えなければいけないのは祖母でした。どんな時も見捨てずいちばん支えてくれた人。
今はこの世にもういません。
ありがとうもなにも伝えられなかったし、何一つ孝行出来ませんでした。
最後に一緒に食べたお雑煮、美味しかったね。
ばあちゃんが若い頃好きだった温泉とか大衆演劇だとかカラオケも行きたかったな。
そんな後悔ばかり。
秋田さんにとってこの歌はお父様に当てて書かれた歌だろうけど、私は祖母や家族を重ねてしまいました。
祖母とキャッチボールをした訳でも肩車してもらったわけでも、この世を去った理由も全て違うけれど、この歌は私にとって祖母にこうしたかったという思いや、父や継母とこうありたかったという願望が胸の内から溢れて止みません。
そんなのもう全部叶わないってわかってるんですけど…。
クラウン新車で買ってあげる
この曲を聞く度に祖母の温もりを思い出します。
駄文、失礼しました。
弔いの旅
年糕
2025年晩秋から2026年梅雨入りにかけて、何往復したことだろう。
車で片道3時間の弔いの旅。(パートナーの実家じまいの為に)
この時期、関連して心療内科への通院も重なっていた。
ショッキングな光景を目の当たりにして、暫くフラッシュバックと不眠に悩まされていた。
何の痛痒も感じないそぶりで暮らしていた。その内奥では虚無感が涯なく拡がっていくような感覚があった。
その旅は、それらと向き合う為にも必要な時間と距離でもあった。
パートナーとお互い励まし合いながら、いくら悲しくとも歩くべき道をいくだけなのだと。
そんな折、ライブでこの曲が流れた時、一語一語の重みをはかるように自分の事となぞらえながら聴き入っていたように思う。
晩秋の実家(パートナーの)に警察車両、捜査員、救急隊員が出入りするなかを不条理なほど美しく、ルリマツリの空色の花が咲き乱れていて、似つかわしくないその情景に気が遠のきそうになりながら眺めていたことや、
いつになく長く感じられた冬が過ぎ、春先に訪れた際には、打ち捨てられた庭先のヒマラヤ杉の下、踏みしだかれた枯葉の合間からスイセンが覗いていたことや。
その後、6月中頃を最後に、いずれ解体される家に施錠し、車で後にしたとき、涙こそ出なかったものの、わいを受け入れてくれた人達への生前の記憶と思慕がようやく湧き上がってきた。
なんだか蛇足的になりましたが、この忍びがたい悲しみを描いた曲は、秋田さんの音楽活動の軌跡と聴いた人々の思いが一輪の花のように後々、収斂されていくのだろうと、そう感じた。
無題
ヨシ0323
親との関係はそこそこ変なかたちで、もう数年顔を見ていません
母とは子供達の成長を1年に一回写真で送るだけ。
父とは先日2年ぶりに用事の都合で生存確認の連絡を少ししただけでした。
父に関しては私の子供たちとは物心が着く前の1〜2回しか顔を合わせていません。
秋田さんとの親子関係とは違うのに、過去の楽しかった時の想いでと、これからどうなるのかを想像してしまい、ライブでは涙が出てきました。
これから親との関係がどうなるか想像はつきませんが、
少なくとも自分の子供達は秋田さんのような何かを感じて言葉にできる、そんな人生を歩んでほしいと願ってしまう
そんな歌でした。
ろくな思い出はないけれど
kosh_rou
うちは父との関係が特殊で、一年に一度くらいか、たまに会うことしかなかった。会う度に写真を撮らされて正直あまり会いたくない相手だった。でも、そんな嬉しくない思い出でもなんかあってもよかったのかな、て肯定された気がする。
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