JavaScriptが無効になっています
本サービスをお楽しみいただくには、JavaScript を有効にする必要があります。
OK
デスゲーム
作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
勝手に動力源にさせてもらってます。
てるてる坊主
これは本人に照らし合わせたというより、私が力にするために都合よく解釈したものです。 「吹き消される命は〜鮮明に映らず」「僕らの首を絞めてるのはこの中に居る誰かだ」匿名でいくらでも書き込めるネット社会で、人は簡単に人を傷つける言葉を吐く。それが相手を殺すとも知らずに。 「一番正気なものが〜一番悪かも」しかも自分と似たような意見のやつを簡単に見つけられるから、そいつらで固まって思考が偏り、主張も激しさを増す。自分が正しい側の人間だと思い込む。 「部屋から〜無自覚」ネットで敵に囲まれた人は、周りも全てが敵に見えてしまう。本音を書き出すネットが世界の全てだと思ってしまい、現実でも自分を嫌って価値なしと烙印を押されているように思える。本当は誰も気にしてないし、そんなこと思ってないのに。「当人は全く無自覚」は、被害者と加害者の両方に当てはまる。 「見過ごした〜背中を見せてはいけない」揚げ足とって傷つけにくる奴がいる。愚痴を聞いてあげるふりして、こぼれた本音を周囲にばら撒いて攻撃しようとする奴がいる。実際そうかもしれない。でもそれを最も警戒してるのは自分自身だ。 「ああ 一滴の涙が 海に勝るとは知らなかったな」自分が死ぬべき人間だと感じた時、家族や友人の悲しみなんてどうでも良くなる。自分自身がもう苦しみたくないから、「〇〇が悲しむ」なんて言われても、追い詰められた中では死の選択をやめる理由にはならない。 「悲観主義〜悪い奴は誰だ」そうして1人の人間が死んだ時、誰がやったのかと犯人探しが始まる。寄ってたかって傷つけてきた人が「自分は味方でした」って顔をしてそいつを殺した誰かを探す。また攻撃するための相手を探す。 「正義も悪もない〜自分自身をまず疑え」でも1番の敵は自分自身だ。心無い言葉をぶつけてくる奴らは私を殺す気なんてない。傷つくとも思ってない。ただストレスの捌け口にしてるだけ。「私は死ななければならない」と思っているのは、そう思わせているのは自分自身だ。「死ななければならない」という思考を至極当然のものとしている自分自身を疑うべきだ。経験した全てから導き出された、最も正しいはずの自分自身の意見を疑うべきだ。私を殺しにくる顔の見えないアンチも、自分自身も、その自覚がないまま私を殺そうとしている。そのことに気づくべきだ。 自分に打ち勝つためにお世話になってます。
ルサンチマン症候群
べこもち
一番正しい奴を疑え 自分自身をまず疑え 「すべての虚飾と外見を切り裂け。心を直視せよ」 この曲をよく聴いていた頃に、読んでいたフィリップKディックのSF小説『高い城の男』の一行が浮き上がって見えた。 何の疑いもなく言説を信じる怖さや笑顔の裏で巣食う悪意。 伏在していた違和感が日の目を見る頃には反駁したくとも手遅れで、弱いものは泣きを見る。 この世に絶対不謬なものは存在しないとさえ思えてくる。 十指に余るほどの謗り、屈辱の憂き目も見てきたけれど ルサンチマンが何らかの動機やエネルギーの源泉となることは疑い容れぬところ。 残り少ない時の経過が刻々と告げてくる今に至っては、ふいに訪れる虚無感にとらわれ、己の心をもって足れりとせねばならないか。
初めて聴いたアルバムの1曲目
refugia
QueenのDeathOnTwoLegsのような不穏さがあり、耳に残るフレーズも併せてとても印象に残った1曲です。
祐紀
amazarashiのファンになるきっかけの曲でした。CD屋のレジに並んでたらこの曲がかかってて、その時店員に怒鳴ってる客がいて、その風景とか状況が妙に頭に残ってます。
back
デスゲーム
作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
勝手に動力源にさせてもらってます。
てるてる坊主
これは本人に照らし合わせたというより、私が力にするために都合よく解釈したものです。
「吹き消される命は〜鮮明に映らず」「僕らの首を絞めてるのはこの中に居る誰かだ」匿名でいくらでも書き込めるネット社会で、人は簡単に人を傷つける言葉を吐く。それが相手を殺すとも知らずに。
「一番正気なものが〜一番悪かも」しかも自分と似たような意見のやつを簡単に見つけられるから、そいつらで固まって思考が偏り、主張も激しさを増す。自分が正しい側の人間だと思い込む。
「部屋から〜無自覚」ネットで敵に囲まれた人は、周りも全てが敵に見えてしまう。本音を書き出すネットが世界の全てだと思ってしまい、現実でも自分を嫌って価値なしと烙印を押されているように思える。本当は誰も気にしてないし、そんなこと思ってないのに。「当人は全く無自覚」は、被害者と加害者の両方に当てはまる。
「見過ごした〜背中を見せてはいけない」揚げ足とって傷つけにくる奴がいる。愚痴を聞いてあげるふりして、こぼれた本音を周囲にばら撒いて攻撃しようとする奴がいる。実際そうかもしれない。でもそれを最も警戒してるのは自分自身だ。
「ああ 一滴の涙が 海に勝るとは知らなかったな」自分が死ぬべき人間だと感じた時、家族や友人の悲しみなんてどうでも良くなる。自分自身がもう苦しみたくないから、「〇〇が悲しむ」なんて言われても、追い詰められた中では死の選択をやめる理由にはならない。
「悲観主義〜悪い奴は誰だ」そうして1人の人間が死んだ時、誰がやったのかと犯人探しが始まる。寄ってたかって傷つけてきた人が「自分は味方でした」って顔をしてそいつを殺した誰かを探す。また攻撃するための相手を探す。
「正義も悪もない〜自分自身をまず疑え」でも1番の敵は自分自身だ。心無い言葉をぶつけてくる奴らは私を殺す気なんてない。傷つくとも思ってない。ただストレスの捌け口にしてるだけ。「私は死ななければならない」と思っているのは、そう思わせているのは自分自身だ。「死ななければならない」という思考を至極当然のものとしている自分自身を疑うべきだ。経験した全てから導き出された、最も正しいはずの自分自身の意見を疑うべきだ。私を殺しにくる顔の見えないアンチも、自分自身も、その自覚がないまま私を殺そうとしている。そのことに気づくべきだ。
自分に打ち勝つためにお世話になってます。
ルサンチマン症候群
べこもち
一番正しい奴を疑え 自分自身をまず疑え
「すべての虚飾と外見を切り裂け。心を直視せよ」
この曲をよく聴いていた頃に、読んでいたフィリップKディックのSF小説『高い城の男』の一行が浮き上がって見えた。
何の疑いもなく言説を信じる怖さや笑顔の裏で巣食う悪意。
伏在していた違和感が日の目を見る頃には反駁したくとも手遅れで、弱いものは泣きを見る。
この世に絶対不謬なものは存在しないとさえ思えてくる。
十指に余るほどの謗り、屈辱の憂き目も見てきたけれど
ルサンチマンが何らかの動機やエネルギーの源泉となることは疑い容れぬところ。
残り少ない時の経過が刻々と告げてくる今に至っては、ふいに訪れる虚無感にとらわれ、己の心をもって足れりとせねばならないか。
初めて聴いたアルバムの1曲目
refugia
QueenのDeathOnTwoLegsのような不穏さがあり、耳に残るフレーズも併せてとても印象に残った1曲です。
デスゲーム
祐紀
amazarashiのファンになるきっかけの曲でした。CD屋のレジに並んでたらこの曲がかかってて、その時店員に怒鳴ってる客がいて、その風景とか状況が妙に頭に残ってます。
back