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수용실
작사: Hiromu Akita 작곡: Hiromu Akita
アラウラレ
なな子
アラウラレがなんなのか考察が飛び交ってますな 私は祈りに聞こえました 雨乞いのような感じ?音が鳴り止まないで欲しいという感じかなと まあ秋田さんに直接聞いても語呂が良かったとか言いそうだけど笑
코멘트
miya2910
いい曲を収容室で作って来ていたのかな。と思うとなんかせつなくなって、でもあんたが音楽なら、秋田さんにとっての1.0は音楽だからいいな。と思ったり。でも1.0は誰かの気もするしあなたも誰かの気もするし。あんたが音楽で、あなたは別の人かもってなって1人問悶。 自分にとっての1.0って本。だったな。 アラウラレって何かの言葉遊びでしょうか。呪文のままいて欲しいな。 子どもたちが国語に答えがあるのが意味わかんないって言ってて、作家のオモイと、読者の価値観が合さって各々の感想があるっていいことだなって私も思います。リリックありがとうございます。 理解者なんて不要だなんて〜からの、それらのそれらが理解者にかかっている言葉ならジーンと良いなって個人的に感じました。
この曲について思うこと 続き
michel
ロックは反逆ののろしであり、学校の授業や辞書や規則に関係なく自由であることがかっこいいので、瑣末にとらわれるのは本末転倒なのですが、歌詞をあれこれいじくりまわすのが好きなので、(また楽曲が一片の小説のようと言われることだったり、ご本人が詩人であることもありますし)、このように好きなことを自由に述べられる場を設けてくださってありがとうございます。
この曲について思うこと
こちらのそれぞれ深い所感に感銘を受けて、例えば自分の作品であっても時に距離を感じたり、また一生付き合うと思うものもあるだろうなあと思って、わたしもなんとなく感じていることを言葉にしてみようと書いたところ、新たな気付きがうまれました。この曲にだけたくさん言いたいことがあるというわけではないのですが、それをまた書いてみたくなりました。 アルバム『ゴースト』の各楽曲には『1984』からのモチーフが伺えるものもありますが、例えばこの曲ではタイトルの「収容室」にそれを感じます。ゴースト公演の終盤にもあったように、『1984』にも終盤に収容される情景が出てきます。 またこの曲では、今までにあまりないように思うのですが、特定ではない「彼」という三人称が主語として使われていることに気付きます。「夕日解放同盟」(こちらもタイトルの"解放""同盟"に『1984』を感じます)にも主語ではありませんが「彼の脳内」とあり、ゴースト公演を見据えた時に、三人称のほうが物語を紡ぎやすいということもあったのかもしれませんが、それだけではない新しい試みであるような気がします。 二人称の「君」や「あなた」であってもその対象は受け手によって多岐にわたる場合がありますが、三人称にすることによって、その対象が更に広がりを持つようにも思います。だからこの曲は、いろんな人がいろんなことを思うそのそれぞれを内包しうる懐の深さを持っているのかもしれません。また三人称でありながら距離を感じない、すごく身近に受け止められるのも魅力だと思います。 例えば「彼」はそのまま"僕"に置き換えることもできますし、また"かつての少年"であり、受け取った音楽に支えられていましたが、時を経て大人になった彼(この楽曲の主人公または秋田さん)は、今度は音楽を奏でる側にいて、「彼」である"わたし(この文章の筆者)"や"誰か"を支えてくれている、という二面性を持つという自由な解釈もできる気がします。"かつての少年"も"わたし"も"誰か"も"大人になった彼"ですらも、すべからく心に惑いを持ち、心の一部をどこかに閉じ込めていて縋る何か(みんなのそれが音楽でありますように)を求めているのです。
音楽を愛するということ
複層的に絡まるモチーフのうちの一つと言うのがいいのかなと思いますが(解釈(意図)は一つではないのだろうという意味です)、支持してくれる(くれた)人への感謝と音楽への賛辞を感じます。 「あなたはたった一人」は、最初期にアポロジーズ、ここにいてくれたけどそれぞれの事情で今はいなくなってしまった人たち。アポロジーズでなくてもライブに来て支えてくれた彼ら。その一人一人。 「去りゆく背中に雨 ふいに別れ」はamazarashiのTシャツを着てamazarashiに背を向け去ってしまったというイメージが浮かびます。雨の情景とも重なります。 それは『ナモナキヒト』(名曲ですよね)という曲が、ライブの時に街でamazarashiのTシャツを着ている人を見かけたことからうまれた、とインタビューで言われていたような気がするので、そこからの連想があると思います。「名乗りもせずに」。私たちは名前があってないようなものですから。 これが正しいとは限らないのですが、かつての支持者にこの曲が届くといいなあと思ったりします。私(たち)も感謝しています。 「それらが孤独じゃないって 不幸じゃないって 教えてくれた あなたはどこにいたって 響き渡って 伝わる声 尋ねたあなたは誰 問うた名前 知る由もなく」 からの流れで ほどなく教わる あんたの名前は「音楽」 ここの意味(音楽への愛を感じます)と「音楽」の後のアレンジが好きでぐっときてしまいます。 「音楽」は、総称としての音楽であり、また、憧れ、追い求めてきた、そして聴き続けてきた先人(インタビュー他で名前を挙げているアーティスト)たちの築き上げてきた音楽へのリスペクトでもあるのでしょう。 「認めてくれたあなた 今でもまだ腐れ縁の連れ」 今ここにいるアポロジーズの私たち、アポロジーズでなくても支持してくれる全ての人たち、その個々人。 誠に勝手な解釈ではありますが、そんなふうに感じながら聴くとぐっときてしまって、優しい曲調(アレンジ全部大好きです)と相まってとても好きな曲です。
私なりの解釈
やっちん
彼とは、ひろむさん自身が抱えてきたココロの深い部分にあるもの。 あなたとは、ひろむさんが今日までに命を吹き込んで来た、数多の楽曲のこと。 ひろむさん、強いてはamazarashiの心の変化、歩みを表現した楽曲。 僭越ながら私なりの解釈です。 失礼致しました。
浄化
베코모치
自分の心という収容室での内省的なモノローグを擬人化した音楽という分身との対話を間接的な暗示において再現されている世界を描いていると。 その部屋で過ごした歳月の物語は後半に向かうにしたがって湧き上がる情感には毎度、心を揺さぶられる。 それは一定不変にも思えた密雲を貫き、ようやく現れた陽射しによって精神的幽囚の身から放たれていくよう… そこから繋がる生起されるわいの心象として… 霖雨の後、森は草木が繁茂し木々から発散される草いきれに包まれながら清らかな水の匂いが鼻腔から肺の奥深くまで染み込んでくるイメージを残す。 アラウラレと心の澱をさらい浄化していくように。 「それらが根拠になって由来になって意味を与えた…」 このフレーズから想起したランボーの詩の一節がある。 「お前の記憶と感覚とはまさしくお前の創造する衝動の糧となるだろう」 よく伝え得たものだと、まるでamazarashiのために用意されたようにも思えて。 冗長となりましたが自分の感じるところを語らせてもらいました。
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수용실
작사: Hiromu Akita 작곡: Hiromu Akita
アラウラレ
なな子
アラウラレがなんなのか考察が飛び交ってますな
私は祈りに聞こえました
雨乞いのような感じ?音が鳴り止まないで欲しいという感じかなと
まあ秋田さんに直接聞いても語呂が良かったとか言いそうだけど笑
코멘트
miya2910
いい曲を収容室で作って来ていたのかな。と思うとなんかせつなくなって、でもあんたが音楽なら、秋田さんにとっての1.0は音楽だからいいな。と思ったり。でも1.0は誰かの気もするしあなたも誰かの気もするし。あんたが音楽で、あなたは別の人かもってなって1人問悶。
自分にとっての1.0って本。だったな。
アラウラレって何かの言葉遊びでしょうか。呪文のままいて欲しいな。
子どもたちが国語に答えがあるのが意味わかんないって言ってて、作家のオモイと、読者の価値観が合さって各々の感想があるっていいことだなって私も思います。リリックありがとうございます。
理解者なんて不要だなんて〜からの、それらのそれらが理解者にかかっている言葉ならジーンと良いなって個人的に感じました。
この曲について思うこと 続き
michel
ロックは反逆ののろしであり、学校の授業や辞書や規則に関係なく自由であることがかっこいいので、瑣末にとらわれるのは本末転倒なのですが、歌詞をあれこれいじくりまわすのが好きなので、(また楽曲が一片の小説のようと言われることだったり、ご本人が詩人であることもありますし)、このように好きなことを自由に述べられる場を設けてくださってありがとうございます。
この曲について思うこと
michel
こちらのそれぞれ深い所感に感銘を受けて、例えば自分の作品であっても時に距離を感じたり、また一生付き合うと思うものもあるだろうなあと思って、わたしもなんとなく感じていることを言葉にしてみようと書いたところ、新たな気付きがうまれました。この曲にだけたくさん言いたいことがあるというわけではないのですが、それをまた書いてみたくなりました。
アルバム『ゴースト』の各楽曲には『1984』からのモチーフが伺えるものもありますが、例えばこの曲ではタイトルの「収容室」にそれを感じます。ゴースト公演の終盤にもあったように、『1984』にも終盤に収容される情景が出てきます。
またこの曲では、今までにあまりないように思うのですが、特定ではない「彼」という三人称が主語として使われていることに気付きます。「夕日解放同盟」(こちらもタイトルの"解放""同盟"に『1984』を感じます)にも主語ではありませんが「彼の脳内」とあり、ゴースト公演を見据えた時に、三人称のほうが物語を紡ぎやすいということもあったのかもしれませんが、それだけではない新しい試みであるような気がします。
二人称の「君」や「あなた」であってもその対象は受け手によって多岐にわたる場合がありますが、三人称にすることによって、その対象が更に広がりを持つようにも思います。だからこの曲は、いろんな人がいろんなことを思うそのそれぞれを内包しうる懐の深さを持っているのかもしれません。また三人称でありながら距離を感じない、すごく身近に受け止められるのも魅力だと思います。
例えば「彼」はそのまま"僕"に置き換えることもできますし、また"かつての少年"であり、受け取った音楽に支えられていましたが、時を経て大人になった彼(この楽曲の主人公または秋田さん)は、今度は音楽を奏でる側にいて、「彼」である"わたし(この文章の筆者)"や"誰か"を支えてくれている、という二面性を持つという自由な解釈もできる気がします。"かつての少年"も"わたし"も"誰か"も"大人になった彼"ですらも、すべからく心に惑いを持ち、心の一部をどこかに閉じ込めていて縋る何か(みんなのそれが音楽でありますように)を求めているのです。
音楽を愛するということ
michel
複層的に絡まるモチーフのうちの一つと言うのがいいのかなと思いますが(解釈(意図)は一つではないのだろうという意味です)、支持してくれる(くれた)人への感謝と音楽への賛辞を感じます。
「あなたはたった一人」は、最初期にアポロジーズ、ここにいてくれたけどそれぞれの事情で今はいなくなってしまった人たち。アポロジーズでなくてもライブに来て支えてくれた彼ら。その一人一人。
「去りゆく背中に雨 ふいに別れ」はamazarashiのTシャツを着てamazarashiに背を向け去ってしまったというイメージが浮かびます。雨の情景とも重なります。
それは『ナモナキヒト』(名曲ですよね)という曲が、ライブの時に街でamazarashiのTシャツを着ている人を見かけたことからうまれた、とインタビューで言われていたような気がするので、そこからの連想があると思います。「名乗りもせずに」。私たちは名前があってないようなものですから。
これが正しいとは限らないのですが、かつての支持者にこの曲が届くといいなあと思ったりします。私(たち)も感謝しています。
「それらが孤独じゃないって 不幸じゃないって 教えてくれた
あなたはどこにいたって 響き渡って 伝わる声
尋ねたあなたは誰 問うた名前 知る由もなく」
からの流れで
ほどなく教わる あんたの名前は「音楽」
ここの意味(音楽への愛を感じます)と「音楽」の後のアレンジが好きでぐっときてしまいます。
「音楽」は、総称としての音楽であり、また、憧れ、追い求めてきた、そして聴き続けてきた先人(インタビュー他で名前を挙げているアーティスト)たちの築き上げてきた音楽へのリスペクトでもあるのでしょう。
「認めてくれたあなた 今でもまだ腐れ縁の連れ」
今ここにいるアポロジーズの私たち、アポロジーズでなくても支持してくれる全ての人たち、その個々人。
誠に勝手な解釈ではありますが、そんなふうに感じながら聴くとぐっときてしまって、優しい曲調(アレンジ全部大好きです)と相まってとても好きな曲です。
私なりの解釈
やっちん
彼とは、ひろむさん自身が抱えてきたココロの深い部分にあるもの。
あなたとは、ひろむさんが今日までに命を吹き込んで来た、数多の楽曲のこと。
ひろむさん、強いてはamazarashiの心の変化、歩みを表現した楽曲。
僭越ながら私なりの解釈です。
失礼致しました。
浄化
베코모치
自分の心という収容室での内省的なモノローグを擬人化した音楽という分身との対話を間接的な暗示において再現されている世界を描いていると。
その部屋で過ごした歳月の物語は後半に向かうにしたがって湧き上がる情感には毎度、心を揺さぶられる。
それは一定不変にも思えた密雲を貫き、ようやく現れた陽射しによって精神的幽囚の身から放たれていくよう…
そこから繋がる生起されるわいの心象として…
霖雨の後、森は草木が繁茂し木々から発散される草いきれに包まれながら清らかな水の匂いが鼻腔から肺の奥深くまで染み込んでくるイメージを残す。
アラウラレと心の澱をさらい浄化していくように。
「それらが根拠になって由来になって意味を与えた…」
このフレーズから想起したランボーの詩の一節がある。
「お前の記憶と感覚とはまさしくお前の創造する衝動の糧となるだろう」
よく伝え得たものだと、まるでamazarashiのために用意されたようにも思えて。
冗長となりましたが自分の感じるところを語らせてもらいました。
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