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無題
作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
落魄の身
べこもち
小さな頃から絵がすきだった 理由は皆が褒めてくれるから…。わいの自負そのものの歌詞に感慨を覚えて何度も繰り返し聴いています。不遇な生い立ちの割に意に沿った仕事に天職と自惚れたりもしたり。それらを失いつつある現状にもすっかり意気阻喪して抗う気力や体力がありません。支えてくれているパートナーには申し訳なく、不甲斐ないのですが表情には出さずバカな事ばっか言って仕事に送り出している毎日です。
無
miya2910
この歌は家族が好きでよく口ずさんでいます。なぜ無題なのか不思議だったんですけど、絵が無題なのか、彼がそうなのか、このお話がそうなのか、彼女が本当は空っぽで無題=彼女なのかもしれない。 私には17年間支えている夫がいます。 20歳からずっとガムシャラに信念を貫いて、それに着いて来て。絶対幸せにする。と言われてついて来ています。 起業に安定や安寧はなく、ひたすら上を目指すしかない日々、騙されたり嘲笑されたり、死に関わったり、事故が起きたり、七転八倒して、それでも上しか見ない夫に着いていけるか日々錯誤しています。 17年間変わらない夫と、変わってゆく周りの風景。生きることが信念を達成することと同意の夫と、信じようと思いつつ、日々苦しむ私を無題にあわせて聴いています。 信じぬくことに、夫のことにあわせて子どもたちが加わりました。 自分自身が空っぽで、自分のことを信じることができない私からしたら、彼女が信じていたことが正しかった。と捉えることで励まされる歌です。
信じてた事
かつん
この曲を聴くといつも「信じてた事」が誰にとってのものなのかを考えてしまいます。 ひとつ目は彼女目線の「(私が)信じてた事 正しかった」 ふたつ目は絵描き目線の「(自分が)信じてた事 間違ってたかな」 最後のは彼女目線の「(絵描きの彼が)信じてた事 正しかった」なのかなとか。 聴いている時はもちろんですが、色んな事を考えてしまう秋田さんの歌詞が大好きです。
自分は今まで通り何も変わってない
かず
「変わってくのはいつも風景」このフレーズがとても心に響いたことを思い出しました。
ストーリーのその後を色々と想像させる
KOUTAN
2人はまた一緒に暮らしたのか...手紙が届いて そこで終わったのか... 同じamazarashi好きな友達とその後について色々と想像を掻き立てる 魅力的な作品の1つですよね
出会いの曲
あまざあき
amazarashiの曲で初めて聴いた曲です。 ここから私のamazarashi人生が始まりました。 今ではそれぞれの場面でいろんな曲を聴いて力をもらってます。ありがとうございます。
信じる事の大切さ☆
なつ
側にいるときから別れた後も 彼女だけが彼の才能を信じてくれてたんだ って彼を想う気持ちに感動しました。 彼が自分の全てを吐き出して 周りに拒絶されて迷ってしまったのに それでも素敵な絵だと言ってくれてる彼女は 心から信じていたんだなって あたし自身も色々気付かされました☆
聴くたびに色んな考えが浮かびます!
あさむ
彼女が彼と別れてから絵を買って、 「信じてたこと、正しかった。」と手紙を送ったのは、彼女も人のあさましさや 空っぽな自分に気づいてしまったからなのかな、と考えてしまいました。。 曲名の 無題 は増える絵にも名前がないこととか空っぽな彼の事をあらわしているんでしょうか。。 曲だけを聴いた後はハッピーエンドだと思ったのに、ミュージックビデオを観た後では全く印象が違っていてすごいです! わたしも絵が好きだったのに諦めてしまったので、この歌を聴くとこの彼のように頑張って続けたら良かったな、と少し後悔したりします。
才能を信じること
sari
無題の彼女は売れることを信じてたわけではなく、絵描きの絵が本物だと信じてたと思ってるんですが、本物とは何かと問われるとうまく言えないし人によって違うものだと思います。 ただ、時代が流れても普遍的なもので世界の理の何か一つを突いているものだというのは共通していると思う。 彼と彼女が別れる時に、彼女は自分が信じてたものを疑う、でも彼は自分の才能を疑うことが出来ないまま絵を描き続ける。 彼女が自分の審美眼を信じきれなかったのでしょうか。人を信じるということは自分自身を信じられるかということにつながるのでしょうか。 彼も自分の才能が絶対的なものだと信じていたわけではないと思う。 揺らぐ夜もあっただろうし疑う日もあったと思う。それでも描くことを止めない。そのこと自体が才能じゃないかと凡人の私には思えます。 最後に彼はまた相対的な評価を得て終わります。どれほどうれしくほっとしたことだろうなあ
北習志野のBAR
saeko
描いた絵を褒めてくれる人がいた。お金を出してくれる人もいた。プレゼントしたら、とても喜んでくれた人も。ものを生み出すというのは、自分を削り出すという事。この曲を聴く度、 あの店にあの絵は まだあるのかなって思い出す。
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無題
作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
落魄の身
べこもち
小さな頃から絵がすきだった 理由は皆が褒めてくれるから…。わいの自負そのものの歌詞に感慨を覚えて何度も繰り返し聴いています。不遇な生い立ちの割に意に沿った仕事に天職と自惚れたりもしたり。それらを失いつつある現状にもすっかり意気阻喪して抗う気力や体力がありません。支えてくれているパートナーには申し訳なく、不甲斐ないのですが表情には出さずバカな事ばっか言って仕事に送り出している毎日です。
無
miya2910
この歌は家族が好きでよく口ずさんでいます。なぜ無題なのか不思議だったんですけど、絵が無題なのか、彼がそうなのか、このお話がそうなのか、彼女が本当は空っぽで無題=彼女なのかもしれない。
私には17年間支えている夫がいます。
20歳からずっとガムシャラに信念を貫いて、それに着いて来て。絶対幸せにする。と言われてついて来ています。
起業に安定や安寧はなく、ひたすら上を目指すしかない日々、騙されたり嘲笑されたり、死に関わったり、事故が起きたり、七転八倒して、それでも上しか見ない夫に着いていけるか日々錯誤しています。
17年間変わらない夫と、変わってゆく周りの風景。生きることが信念を達成することと同意の夫と、信じようと思いつつ、日々苦しむ私を無題にあわせて聴いています。
信じぬくことに、夫のことにあわせて子どもたちが加わりました。
自分自身が空っぽで、自分のことを信じることができない私からしたら、彼女が信じていたことが正しかった。と捉えることで励まされる歌です。
信じてた事
かつん
この曲を聴くといつも「信じてた事」が誰にとってのものなのかを考えてしまいます。
ひとつ目は彼女目線の「(私が)信じてた事 正しかった」
ふたつ目は絵描き目線の「(自分が)信じてた事 間違ってたかな」
最後のは彼女目線の「(絵描きの彼が)信じてた事 正しかった」なのかなとか。
聴いている時はもちろんですが、色んな事を考えてしまう秋田さんの歌詞が大好きです。
自分は今まで通り何も変わってない
かず
「変わってくのはいつも風景」このフレーズがとても心に響いたことを思い出しました。
ストーリーのその後を色々と想像させる
KOUTAN
2人はまた一緒に暮らしたのか...手紙が届いて そこで終わったのか... 同じamazarashi好きな友達とその後について色々と想像を掻き立てる 魅力的な作品の1つですよね
出会いの曲
あまざあき
amazarashiの曲で初めて聴いた曲です。
ここから私のamazarashi人生が始まりました。
今ではそれぞれの場面でいろんな曲を聴いて力をもらってます。ありがとうございます。
信じる事の大切さ☆
なつ
側にいるときから別れた後も
彼女だけが彼の才能を信じてくれてたんだ
って彼を想う気持ちに感動しました。
彼が自分の全てを吐き出して
周りに拒絶されて迷ってしまったのに
それでも素敵な絵だと言ってくれてる彼女は
心から信じていたんだなって
あたし自身も色々気付かされました☆
聴くたびに色んな考えが浮かびます!
あさむ
彼女が彼と別れてから絵を買って、
「信じてたこと、正しかった。」と手紙を送ったのは、彼女も人のあさましさや
空っぽな自分に気づいてしまったからなのかな、と考えてしまいました。。
曲名の 無題 は増える絵にも名前がないこととか空っぽな彼の事をあらわしているんでしょうか。。
曲だけを聴いた後はハッピーエンドだと思ったのに、ミュージックビデオを観た後では全く印象が違っていてすごいです!
わたしも絵が好きだったのに諦めてしまったので、この歌を聴くとこの彼のように頑張って続けたら良かったな、と少し後悔したりします。
才能を信じること
sari
無題の彼女は売れることを信じてたわけではなく、絵描きの絵が本物だと信じてたと思ってるんですが、本物とは何かと問われるとうまく言えないし人によって違うものだと思います。
ただ、時代が流れても普遍的なもので世界の理の何か一つを突いているものだというのは共通していると思う。
彼と彼女が別れる時に、彼女は自分が信じてたものを疑う、でも彼は自分の才能を疑うことが出来ないまま絵を描き続ける。
彼女が自分の審美眼を信じきれなかったのでしょうか。人を信じるということは自分自身を信じられるかということにつながるのでしょうか。
彼も自分の才能が絶対的なものだと信じていたわけではないと思う。
揺らぐ夜もあっただろうし疑う日もあったと思う。それでも描くことを止めない。そのこと自体が才能じゃないかと凡人の私には思えます。
最後に彼はまた相対的な評価を得て終わります。どれほどうれしくほっとしたことだろうなあ
北習志野のBAR
saeko
描いた絵を褒めてくれる人がいた。お金を出してくれる人もいた。プレゼントしたら、とても喜んでくれた人も。ものを生み出すというのは、自分を削り出すという事。この曲を聴く度、
あの店にあの絵は
まだあるのかなって思い出す。
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